物語の論理性と時間

 物語の主要な構成要素になるもののひとつとして、しばしば「ある主体の変容過程」があげられるんじゃないかと思うんですよね。
 その変容過程というもののあり方の一つとして、その主体sが持っていた意見Aが、その反対意見であるBに変わり最終的にAではないがAに少し近い意見A’に変わったとします。この場合、そのsが持っている意見とはなんなのか。普通に考えれば、最初の時点t1ではA、次の時点t2ではB、最終時点tnから将来再び意見が変わるとすればその時点tn+xまで、変わらなければそのまま死ぬまでA’という意見を持っていると言うことになるかもしれません。しかし主体の変容過程を一まとまりの物語Sの一環として見ると、Sという俯瞰的な視座からはその主体はA、B、A’を並立させていると言えるのではないでしょうか。この考え方が奇妙に思われるのは、私たちが物語と言うものを時間的な出来事の順序を考えることなしには把握できないからです。しかし、物語そのものはどの時点においても、物語内部の時点t1、t2、t3、…、tnすべてを同時に成立させています。それならば、A、B、A'が「同時」に成立していると言っても問題ないのではないだろうか。