八日目の蝉

「八日目の蝉(映画版)」を見た。井上真央小池栄子の関係を見て(役の名前を覚えていないので役者名です)、ああ、これも「二人の女の子問題」の話なのかな、と思った。「二人の女の子問題」というのは、主に青春・成長物語で二人の女の子の関係を軸に話が進み、片方がもう片方の移行対象であるようなケースの話にまつわる問題である*1
 しかし、「八日目」においては、あくまでも母―娘の関係に焦点があり、ミラーシスターの問題は後景に退いている。その母―娘関係については、要するに「貰い子妄想」の肯定なのではないだろうか。*2「八日目」では、「貰われてきた子」ではなく、「攫われてきた子」になっており、さらに攫われた状態で本当の親を求めるのではなく、取り戻された後に本当の親ではない親の方を肯定するという捩れた構造になっているが、「本当の自分の親が自分の親ではなく、別のもっと素敵な親がいる」という願望がある点でやはり貰い子妄想だといえると思う。
 この話は、行きて帰りし物語の帰って来れないヴァージョンなのではないかなと思う。ミラーシスターが決別しないこともそれを示唆している。ラストには静かな感動があるのだが、冷静になると、いや、これって肯定できないんじゃないか、という思いが強くなってくる。
 

*1:しかし、この「二人の女の子問題」というのは言い方が長くて疲れるので、これからはミラーシスターとでも呼ぶことにしよう。

*2:と書いておいて貰い子妄想について学術的なことはほとんど知らないのだが、かの有名な木村敏命名者のようだ。内容的には、「自分は本当はこのうちの子ではなく、貰われてきた子かもしれない」という妄想であり、病的な妄想ではなくても、一種の空想として子どもの頃一般的に抱かれるものだ。しかも、欧米においてはあまり見られず、日本に多く見られるものだという。http://ci.nii.ac.jp/els/110006606869.pdf?id=ART0008574097&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1340625895&cp=