『ホットロード』について

 ホットロードがヤンキーまんがだから嫌い、という話を読んで考えたことをちょっと書く。
 確かに『ホットロード』はヤンキーの世界が主な舞台だし、そこに幻想があるのもその通りだろう。しかし『ホットロード』がヤンキーの世界を肯定する作品かというと必ずしもそうは言い切れない。
 なぜなら結局主人公の和希はヤンキーの世界から離脱していくからである。その点で「無垢で傷つきやすい私たち」という自己像も、そこにとどまることはできない。大事なのはプロセスと結果であって、プロセスの途中にのみ注意を向けるべきではない。そもそもヤンキーの世界はそこから離脱するにしろしないにしろ、それ単体として見るのは適切ではない。
「無垢で傷つきやすい私たち」あるいは「ヤンキーの世界」というのは危うい地点である。そこには精神的閉塞がある。しかし一つのプロセスとして一時的な閉塞が必要とされることはある。閉塞そのものを肯定するべきではないが、プロセスの中にある閉塞はプロセスの中にあるものとしてという限定付きではあるが認められるべきである。
 ただ、離脱しない「無垢で傷つきやすい私」や離脱しない「ヤンキー」もいるであろう。それはそれで根深い問題ではある。

ホットロード 1 (集英社文庫(コミック版))

ホットロード 1 (集英社文庫(コミック版))

ホットロード 2 (集英社文庫(コミック版))

ホットロード 2 (集英社文庫(コミック版))