水からの伝言とか

 水からの伝言を叩くのがしばらく前からはてなで人気です。
 ところで水からの伝言を信じている人々は、実際のところどういう風に水からの伝言を受け取っているのでしょうか。菊池誠センセイは「想像力のなさ」が問題だと思っているようですが、私は想像力はあまり関係ないと思いますね。
 近くに水伝を信じている人間がいるのでそこからの推論になりますが、水伝というのは一種の説話みたいなもんですな。「嘘をつくと閻魔大王に舌を抜かれる」のと同じようなもの。まあ水伝を発信している人たちにとってはもっと切実なもので、それこそ「科学」で証明しなきゃ気がすまないものなのかもしれませんが、発信されたものを受信している人たちにとってはちょっとした「占い」とか「いい話」以上のものではないんですよ。一種のコミュニケーションツールというかね。そういう話を共有して共感してなんだか気持ちがいいっていうのが水伝信者の感覚なのであって、そこへホンモノの「科学」がズカズカと入ってきても、「KYサイアク」ってなもんでしょうな。別に反科学とはいわないけど、一般庶民がそんな科学とか論理とかでいちいちものを考えるわけないんですな。
 それでですね、水伝がどのようにおかしいか、なんて話はもうどうでもいいんですよ。いや、好きな人はやればいいと思いますけどね、私はつまらんと思いますよ。むしろ私が知りたいのはスピリチュアルとか疑似科学とかが以前に比べて隆盛になっているのか、だとすればその経緯はどういうものか、その経緯をたどった理由は何かということです。それを考えない限り、疑似科学批判というのは単なるおままごとに見えるよー。