疑似科学関連のメモをまた

 性懲りもなく書いておきましょう。疑似科学批判というのを一枚岩で考えてはいけないのかな、という気がしたので、もう少し論点をきちんと腑分けして考察しようと思います。暫定的に、いくつかの疑似科学批判言説の類型をピックアップしましょう。

1.科学的事実に照らして主張されている現象が間違っているという批判
 ○○学の知見に照らし合わせてみて、その現象は間違っている、と述べるタイプ。科学的方法論の内在的な論理に従って個々の事実の真偽を問題化する。

2.科学の使用目的についての批判
 科学では解決できない道徳倫理の問題を科学の名をもって解決できるかのように騙る科学の横領を問題化する。

3.犯罪への援用に対する批判
 詐欺の手段として疑似科学が使われることを問題化する。

4.犯罪ではないが様々な問題を引き起こすことに対する批判
 疑似科学にはまった人が多額の金銭を投入してしまうことや、近代医療よりも疑似科学を信用してしまうような事例を問題にする。

 さて、とりあえず以上の4点を挙げてみたが、私としてはこれらの疑似科学批判は不十分ではないかという感想を持っている。2.については、科学の名を用いている人たちにとって、科学とは何かという問題はほとんどどうでもいい問題だろうと思われる。科学には何ができて何ができないかを一生懸命論じる言説が、疑似科学を実践してしまうような(可能性のある)人々に届くのかは大いに疑問。たとえ疑似科学単体を押さえ込めても同様の問題は反復されるだろう。3.については、騙す騙されるという警戒感を呼び起こしやすい要素があるから疑似科学全体に対する批判がある程度抑止として働くのではないかと思う。しかし詐欺を防ぐためには疑似科学批判より有効な方策はないのだろうかいう気はする。4.については、すでにはまってしまった人以外の人を思いとどまらせるように働く抑止はある程度期待できるかもしれない。しかし実際にはまってしまう段階における個々の状況が抱える問題を可視化しないと、疑似科学は押さえ込めても2.と同様に同じ種類の問題が反復されるだろう。1.は他の批判内容とセットで出てくるオーソドックスなものだろうし、必要なことだ。しかしそれだけに固執することはあたかも疑似科学の問題が科学との関係における問題に限定して理解される危険があるし、現に疑似科学批判はそうした言説に限定されがちであるように思われる。つまり問題意識が浅すぎる危険がある。