妊娠中絶

 聖書的に考えると、中絶というのは原則的には悪だと判断できると思う。原則的に、というのは例外はあるのではないかということを含意している。聖書には中絶に関する直接的な教えはないし、実例も記されていない。また、子どもが生まれる、ということがどういう意味を持っているのかについても直接的な説明はなされていない。しかし、とにかく子を産むことはよいこととしては書いてある。
 聖書は婚前交渉を悪としている。逆に言えば性交と婚姻は相互に結びついたものとされる。そもそも婚姻はキリストと集会の関係を表現するものである。妊娠と出産は性交の結果であり、それはキリストと集会の関係を表すことにおいてなされるものであるから、何らかの特別な祝福を表しているだろう。ゆえに、それを恣意的な理由で中絶することは神の秩序に反しているとみなされる。
 私の考えでは、経済的問題、生死に関わらない障害の判明などは例外的な中絶を認める理由にあたらない。しかし、明確な規定がない以上、原則を十分に考慮した上で、それぞれのケースにおけるそれぞれの判断に任せられることもあるだろう。

【胎児の権利】を錦の御旗に、人を殺してまで守るもの - 地下生活者の手遊び

追記:一応次のような記述はある。
【新改訳改訂第3版】

21:22 人が争っていて、みごもった女に突き当たり、流産させるが、殺傷事故がない場合、彼はその女の夫が負わせるだけの罰金を必ず払わなければならない。その支払いは裁定による。
21:23 しかし、殺傷事故があれば、いのちにはいのちを与えなければならない。