上げ底

 少し前に、エホバの証人をやめかけている青年の体験談が増田に書かれていたのだけど、その中で、別に信じていないんだけど共同体の人間関係が捨てられないから残っている人たちの話があった。
 一般的に、生きている中でよく考えて自分から選び取ってそうしていることというのは結構少なくて、そこに居心地のいい人間関係が有ったからなんとなく所属している、というような、一種の上げ底の上に生活している部分が、別にカルト宗教に限った話ではなくて、人には大きいと思う。そういう上げ底を否定したいわけではないのだが、しかし、そういう上げ底で左右される判断というものを考えると、人間の弱さを感じる。ああ、弱いんだな、といううめきというかつぶやきというか。
 今とは違うまったく別の世界に参入していくときでさえ、よく考えた上での選択というよりは、上げ底的な要素に魅力を感じているからという動機はわずかでも入り込んでいると思う。実際、件のエホバやめかけの人は「リア充」という上げ底でいままでの上げ底を代替したのだというようにしか思えない。
 上げ底を否定しきらず、しかし実際面では上げ底のない判断ができるか、というのは切実なものだ。