ワンステップリードロールモデル(OSLRM)

 最近、人の成長について私が面白いと思っているのは「一歩先を行く人物からの影響」というものである。これは「偉大な指導者からの影響」ではないところがポイントである。自分が進んでいる道に関して、自分よりちょっとだけ先輩である人物の振舞いやあるいは直接的な励ましによって前進を獲得するということが、一般的な現象として概念化できるのではないだろうか、と思っている。
 こうしたことを考えるようになったのには、自分の身近で実際にそういうことが起こったり、あるいは友人が同様の経験をしたことを話してくれたこと、名前は忘れたが、とある青年心理学者の考察で似たような記述があったことなどが重なったことが影響している。
 実際、その道のベテランの人というのは、かなりの境地に達していて、未熟な人にとってはあまりに遠い存在となり、逆に見本にしづらいのではないかと想像できる。未熟な自分が抱えているつまづきがあったとして、そういうベテランと自分を比較すると自分のダメさばかりが浮き彫りになって苦しくなる、という経験を少なくとも私はしたことがある。
 そこで、一歩先を行く人物(=ワンステップリードロールモデル)の出番である。一歩先を行く人物は、いま未熟な自分が抱えている悩みや困難をつい最近通り抜けてきた人である。つまり、ベテランに比べると、「ああ、自分にもあんな頃があった」という経験についてより実感の大きい状態を保っている人であると考えられ、またそのことが一歩先を行く人物の重要な特徴であると推察される。また、未熟な自分にとって、一歩先を行く人物はそれこそあと一歩進めば手の届きそうな存在であり、明確な目標にしうる。漠然とした目標よりはっきりした目標のほうがそれに向かって頑張りやすいというのは事実であろう。
 ところで、私がこの記事を書くに当たって念頭にあったのは、「偉大な指導者の導き」と「他人を介在させない自己確立」の両極に対する違和だった。実はその「あいだ」に妥当な基準があるのではないか、というのが私の考えである。
 しかし、注意しておきたいが、「他人を介在させない自己確立」については、私は考えたことがないし、誰かが考えたということも知らない。その可能性について検討することは興味深い作業となると思う。それでも、私は実用的には上述のような「あいだ」としての関係を自己確立の過程から除くことはできない、と予想している。恐らくそこで重要となるのは状態と過程の関係ではないかと思う。「他人を介在させない」“過程”をもって自己を確立するのか、それとも「他人を介在させない」“状態”としての自己確立を達成するのか、というのでは意味合いがまったく異なっている。私は前者に懐疑的であり、後者に肯定的だが、実は孤独な場所で達成されるものと他人を介在する場所というのは半分ずつ重なった円のようなもので、お互いに独立の部分を持ちつつも相互に反映される、そのような理解が妥当なのではないか、という気もしている。そうであるならば、「他人を介在させない」“過程”は孤独な場所で進行しつつも、そこでの作用は他人の介在する領域にフィードバックされるとしてもおかしくはない。また逆に他人の介在する領域での過程が孤独な領域にフィードバックされることも考えられる。
 また、こういうことも考える。未熟な時期の困難を乗り越えた一人の人がいる。その人よりさらに進んでいる人たちは多くいるが、逆にかつての自分のように未熟な時期を過ごしている人たちも多くいる。孤独な領域は絶対にある。そこには触れることはできない。しかし触れ合うことのできる領域もあり、それはきっと「過程を知る者たちの園」と呼ばれている。そして前よりも一歩成長した人が生まれてくる。そんな風に考える。

大人へのなりかた―青年心理学の視点から

大人へのなりかた―青年心理学の視点から