フロイトと発生学

 フロイトの『精神分析入門』を読んでいたら、発生学者ルーの名前が出てきて「お?」と思う。
 ルーの実験は高校の生物の教科書にも出てくるもので、発生中のカエル胚の割球の半分を熱した針で刺して破壊したらその後の発生がうまくいかなかったという実験だ。しかしこの実験には不備があって、破壊された部分の細胞をそのままくっつけた状態で発生させたのでうまくいかなかったのである。その後シュペーマンが行なった実験で、イモリ胚を完全に2分割して切り離したところ、胚は正常に発生した。
 フロイトは幼年期つまり「発生の初期」に加えられた障害が後々神経症に繋がっていく、という理論を語る文脈でルーの実験を引き合いに出している。しかしルーの実験の置かれた発生学的な文脈では、発生の初期に加えられた処理よりも、むしろ発生がある程度進んでから加えた処理のほうが生物の発生に異常な影響をもたらす。というのは、生物の受精卵は分化-未分化の観点でいうと非常に未分化な細胞であり、それ単体から1個の完全な個体を構築することができる全能性と呼ばれる性質を持っている。この受精卵が分裂を繰り返していき、ある特定の形態と機能を持つ分化した細胞になると、そのような全能性は失われてしまう。ちょうど陶器用の粘土に火を通すとカチカチになるようなものである。この分化の時期が遅い卵を調節卵、分化の時期が早い卵をモザイク卵と呼んでいる。
 ということでフロイトは間違った知識を引用していたということ。いやでも、フロイトは面白いけど。