ネット全体の右翼的傾向を作ったのは誰か、という内容のブログ記事を読んだ。しかし、私の認識としては、ネットの右翼的傾向を作ったのが特定の思想家であるというのはしっくりこない。
 そもそも、私が(左派や、左巻きに見える人に噛み付くような)2ちゃんねらーネット右翼の本質だと思う特徴は、中立/偏向というポジショニングへの異常なこだわりである。彼らの言説は常に「自分は中立的な考え方をしている」という自己意識を保持するために構築されていると私は見ていた(最近世の中の動向に疎いので状況は変化しているかもしれないが)。
 ところで、私はブログを始める前は、いくつかのネットコミュニティに出入りしていたのだが、そこで10代の若い人たちと話したり(私も十分若いが)彼らのやり取りを見ているときに、ある種の気持ち悪さを感じ取っていた。その気持ち悪さというのは、要するに「自分の意見を押し付けないようにしよう」という考えが有形無形に溢れていることだった。何をどう感じ考えるかはひとそれぞれ、それでもって批判はだめ。なんでそんなに気を使っているのか、たぶん傷つかないようにということなんだろう。そんなコミュニケーションをするようになった背景が問題であるが、それはさておく。
 それで、私の見てきた子どもたちと、2ちゃんねらーネット右翼とに共通する特徴というのは、いかにして自分が批判されずに傷つかないポジションに立てるか、というメンタリティ及びそれを実現するための行動である。政治的な話題に首を突っ込む2ちゃんねらーネット右翼は、そうしたメンタリティに政治的な色彩が添えられたに過ぎないように思う。その「色彩を添える」という点では、加藤典洋竹田青嗣が大きな役割りを果たしたということもあるかもしれないが、より根本的な問題がまだ残っているのではないかと思う。