下條信輔『〈意識〉とは何だろうか――脳の来歴、知覚の錯誤』1

イリュージョンは単なる錯誤ではなく、視知覚系の適応機能のあらわれである。(P.37)

錯視図形や陰性残光は一見「錯誤」を起こすと思われがちだが、実は単に「適応」しているだけ。

どうやらヒトには元来、秩序や因果を発見しようとする強い認知傾向があるようです。本来意味やつながりがないとわかっている出来事や事象にも、意味や因果、あるいは法則を見出そうとする。(略)/逆にいえば、ヒトは無秩序や、因果関係の無さを嫌うのです。言いかえれば、意味の「真空状態」を嫌うのです。それはたぶん、ほんとうは秩序や意味や因果関係があるときにそれを見落とすことが、生物の生存にとって致命的になりかねないからでしょう。(P.51)

ヒトにはまた、自分の信じたいこと、望んでいることを確認したい欲求があります。これは常識として皆知っているようで、実は皆その影響を過小評価しています。(P.52)

(略)本来動機要因と認知要因は切り離せないものだと思うのです。/(中略)つまり、目立つ手がかりに依存して判断してしまうということ自体は認知要因だとしても、その手がかりがほかに比べて目立ったのはなぜなのか。本人の動機に合う何かがあったのではないか。これは動機要因です。/ですから日常生活では動機要因と認知要因とが重なるのがふつうだし、そこに本質があるように思います。(P.55)/(略)コンピュータには動機がないだけに、これはヒトをヒトらしくする本質的な側面だといえるからです。(P.56)

下條氏の考える認知の錯誤に共通している重要な点↓

(1)だいたい誰でも同じようにまちがう。
(2)問題間で共通する原因によって、共通するまちがい方をする場合がある(たとえば、サンプルのバイアス)。
(3)正しい解法や知識を与えられても、なかなか「直らない」。
(4)論理的には同型だが、難易度がちがう問題を作れる。

=「内在的・本質的な錯誤」(規則的で構造的、合理・非合理の二分法で割り切れない)←→「外在的で偶発的な錯誤」(意味のないランダムなミスや単純な計算ミス、不注意のミス)