自分と母親、母親と子ども

 2人の友人と話していたら、親との関係の話になった。友人Sの母親は基本的に自分のやりたいことをやりなさいという感じで、試験の成績が悪くても怒られることはなかったという。ただ、その母親は高校を卒業してからすぐに働きだしたけれども本当はもっとやりたいことがあった人で、その夢を娘に投影して実現させようとしているところがあったらしい。それに反発したSは、しばらく働いて結婚してそのうちパートでもやるかという、実にM字型雇用的人生をいまから思い描いているようだ。父親は普段は何も言わないが要所要所で口出ししてくる人で、就職をきめるときには「稼げるところにしろ」などという指令がきたという。それにも彼女は反発したらしい。
 友人Hの母親はHに対して「高校行かずに中学でたら働け」と言っていたらしい。それに反発したHはSとは逆に大学院まで進んで就職からは遠ざかっている。しかもこれから院でやる研究は実用的にはとうてい意味があるとは思えないという徹底(?)ぶりだ。
 Hの母親は私の母親と似たところがある。私の母親はさすがに高校に行くなとはいわなかったが、早く就職して金を稼ぐということを是としており、「金を稼ぐ状態にない」ということを、相手が子どもであってさえ馬鹿にしていた(いまでもしている)。彼女は自分自身が早くに家を出て働きたいと思い、そしてそれを実現して働いてきたことを誇りに思っている人で、30(だったかな?)で結婚したことにまだ少し後悔があるようにもみえる。私が高校の勉強で行き詰っているとき、彼女が持ち出す話といえば「働け」ということだった。たぶんあの頃の私は母親に励まして欲しかったのだと思うが、まあ、あまりマザコンみたいになるのも恥ずかしいのでそれはもういい。
 私は母の「働け」というメッセージに苦痛とプレッシャーを感じていたが、Hも同様の経験をしていたらしい。私は過去の苦痛とプレッシャーに共感してくれる人間がいたということに少なからず慰められた。
 この話にオチをつけるとするなら、「結局、子どもは親の思う通りには育たない」という辺りが妥当なところだろうが、「実現しなかった夢を子どもで実現しようとする」という欲望の形式と、「働くことへの誇りとその子どもへの強要」と、そして親からのプレッシャーと苦痛の共感について、それぞれが考えどころであると思う。以上、書き留めておく。