彼女は買われているのか、〈自分〉が買われているのか

 また女の子とケンカしました。コンパニオンのバイトをやってる子なのですが、彼女はコンパニオンの仕事というのは「自分を買ってくれている」ものだと捉えているらしい。しかしそれは違うのではないかと私は思うわけです。コンパニオンの客が買っているのはたぶん自分の幻想の投影された影あるいは単なるサービスの内容じゃないかと思うんですよ。そうでなくとも、少なくとも彼女自身の価値を求めて客はコンパニオンを買っていないはずだ。ただし、〈自分〉そのものと〈自分の作業〉は切り離せないと私は考えます。彼/彼女の行為は彼/彼女自身の存在と不可分だ。彼女は客が求める幻想やサービスがあったとしてそれを提供しているのは自分だから、「自分の提供している幻想やサービス」=「自分」という図式なのだと思います。しかし、視点を客に移した場合、客は提供された幻想やサービスを買っているとしても、〈価値ある個人〉としての彼女を買っているわけではない。ここでは両者に認識のギャップがあるわけです。だから彼女自身にとっては、彼女自身の価値と提供している幻想には密接な結びつきがあるとしても、買っている客にとっては提供されている幻想と彼女自身の価値は切り離されている。つまり、彼女自身の認識および客観的な視点では彼女自身の存在と彼女の作業は不可分であるが、買っている客にとってそれは不可分のものとして認識されていない。買う側と買われる側に認識のギャップがある。これは一人相撲だ。彼女は「自分を買って」もらってなどいない。
 この記事は思想とか哲学とか考慮してません。単なる勘違いかもしれません。でもとりあえずすっきりした。