日常

 誰も、何も根本的なことを語らない。ごまかし、知恵をつけ、部分的に正しい正義を語る。なにもかも茶番に見える。

 統合失調症というものを私は詳しく知らない。だから以下に出てくる「統合失調症」は現実の統合失調症とは関係がないかもしれない。
 友人のHは高校時代、学年で何人か選ばれる「上位大学進学助成者」の一人だった。他の生徒よりも多くの宿題が課される。彼は一生懸命に作業した。しかしそれは単なる作業であり、学習ではなかった。それに耐え切れず、統合失調症になった。激しい焦燥感にかられ、〈自分〉はいなくなった。すべてやらされることだった。基礎固めなしの受験用応用練習の連続で学んでいる感覚がなくなり、学習している内容の全体的まとまりがなくばらばらに感じられた。余裕のない人間から「自己」は消滅する。自己が外部化される。自分に意志はない。やらされているから行動している。親は大学になど行かなくてもいいと言う、周りの生徒は彼ができる人間だとしか見えないので彼の苦しみは理解できない、先生は進学プロジェクトに目がくらんでいる。彼は孤独だった。四面楚歌。彼はドロップアウトした。彼以外の選抜生徒は東大や京大に行った者がいるらしい。だが、自分と同じようにドロップアウトした人間もきっといるはずだと彼は言う。逃亡した彼は秋山仁の本やnational geographicを読んでいた。恐らくそれが彼の移行対象だったのだろう。彼の心を支えたもの。そうして彼はいま、私の隣に座っている。
 私は彼が受けた教育を憎むが、しかし、そうした経験を経た上でいま存在している彼と言う人間に魅力を感じるのも事実だ。なぜなら彼が痛みを知っているからだ。その辺はまだ整理をつけていない。

 Hの話スピンオフ。生物の授業でDNAのエキソンとイントロンの話が出てきたときに、教師はイントロンが切り取られて、エキソンが繋ぎ合わされるということを説明したが、それ以上のことは説明しなかった。DNAがある、イントロンが切り取られる、エキソンが繋がる。ほんとうに受験的な知識の単なる羅列である。これで何かを分かったことになるのか、Hは憤慨した。それでHは生物が嫌いになった。