疑似科学についての断片

 改めて考えてみたら科学への信頼が低下しているというのは、科学であることを標榜する疑似科学が蔓延する根拠にならない。しかし、疑似科学の言う科学は本当の科学ではない、という言い方はできる。それでもそれは科学への信頼とは結び付けられないように思われる。本当の科学への信頼が低下したとはとてもいえないと思うからだ。一般人にとっての科学は、昔も今も「科学的な態度」や「科学的なプロセス」という意味での科学ではなくて、もっと生活の豊かさとかSF的な進歩とか、あるいは単に先進的な技術とか、漠然としたイメージと強く結びついたあいまいなものだろう。科学に対するイメージの変化について強いて言えば、科学に理想や夢が託される度合いは戦後60年代や70年代に比べて低くなっていると思う(データは知らない)*1
 そして改めて疑似科学において供給されている科学へのイメージは何なのかと考えると、意味の領域であることが見て取れる。90年代にオウム真理教の事件もあって宗教へのイメージもだいぶ悪化したし(もちろん、話を宗教に限定する必要はない)、そういったいままで意味の供給をになってきたシステムの機能不全が、別の意味供給のシステムへの乗り換えを促進し、疑似科学の隆盛をもたらしたという仮説も立てられるのではないだろうか。

*1:おお、これが疑似科学というものか?