疑似科学についての断片その2
疑似科学批判をする人の誠実さを認めるということを少し前の記事で書いたが、正確に言うなら、そういう誠実な人も複数いる、ということになる。
しかし、多くのブログ記事で見られるような、批判の域にも達していないような疑似科学批判(というより疑似科学嘲笑の方が正確かもしれない)は、『カラマーゾフの兄弟』でフョードルが言っていることに近いものがある。
わたしはこれまでずっと、腹を立てては、よい気持ちになっていたのです。一種の外面、見てくれのために腹を立てていたということです。なにしろ腹を立てるというのは、たんに気持ちがよいだけじゃなく、時としてかっこいいものですからねえ。そう、大長老さま、最後のところを一つお忘れでしたね。つまり、かっこいいという点ですよ! こいつは手帳に書き込んでおかなくちゃ!(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟1』(光文社古典新訳文庫、p.114)
腹を立てることすらしていない人もいるわけだが、疑似科学にはまらない自分はかっこいい、ということくらいしか言いたいことが見当たらない人は多い。
あるいは、
《議論はやめていちいち相槌をうって、愛想のよさでひきつけ……そして……最後には自分が、あんなイソップ爺の、あんな道化者の、あんなピエロの仲間じゃなく、他の連中同様、うかつにも罠にはめられたのだということをわからせてやろう……》(同上、p.222)
「とりあえず自分は馬鹿のグループにはいないぞ!(たぶん)」
はたまた、
パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。
『神よ、私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの収税人のようではないことを、感謝します。(略)』(ルカの福音書18章11節)
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