殺人、レイプ

 なぜ人を殺してはいけないのか、なぜレイプは悪いことなのか、という話がありますよね。レイプのほうは、そんな問いがなされる社会は野蛮だ、とかいう話を読んだこともあります。
 最近ぼんやりと思ったのですが、殺人とかレイプって、その言葉自体に「悪いこと」という意味が含まれてないですかね。つまり、それが悪いことだから「殺人」とか「レイプ」という表現をするのであって、逆の問い方をするのは実は本末転倒なんじゃないか。言い換えると、表現そのものに価値判断が最初から反映されているんじゃないかということ。
「なぜ悪いのか」という哲学的な議論をしている人たちの中に、本気で「悪いのかどうか判断できない」と思っている人は実はいないんじゃないかな。「自分はまあ殺人を悪いと思うんだけど、ちょっと哲学的に考えてみようか」、みたいな感じでは? 以前アメリカの裁判で「人を殺すことは楽しい!」と放言する被告が、テレビに映っていたけれど、悪いことをあえてするという認識があるからこそ楽しいのかもしれないですよね。いや、ほんとに楽しいと思ってるのかというのがそもそも疑問ですが。*1悪いとは思わないが、自分は単に殺さ/せないだけだ、という人もいますね。しかし、殺す・殺さないという言及自体が実は一つの善悪についての価値判断を含む行為なのであって、純粋な問いとしての「なぜ悪いのか」という言葉は成立しないんじゃないのかなあという気がします。
 そうすると問題になるのは、何が殺人か、何がレイプか、ということ、なのかなあ。

追記:この辺りの話題はときどき思いつきで書いてます。誰か親切な人が見ておられたら「そういう話ならまずはこの文献を読め!」というコメントなどをしていただけると助かります。

*1:ところで私は殺人というものに対して社会的文脈というものをどうしても読み取ってしまう。もちろんそれは加害者の責任を免ずるわけではない。ただ、殺人というものをあまりにも加害者と被害者の二者関係の問題のみに限定して捉えることは間違いだ。内藤朝雄がいじめを生態学的秩序に基づいて分析して見せたことが正当なら、殺人にだって当然応用できるはずである。