予定説についての小覚書

 以前、ある長老の方が「カルヴァンは、最初から救われるものが決まっているということではなくて、救いは神の力だということを言っている」というニュアンスのことを言われていたことがあった。
 私自身はカルヴァンの著作を実際に読んだことがないのでまだなんとも判断できないが、カルヴァンの説として一般に流布している予定説は誤読によるものである可能性は、選びの問題が難しいテーマだけにありそうだという気はしている。
 そもそも、何かを決定する、という行為自体が非常に理解するのが難しい。また、神の決定ということを人間が何かを決定するということと同じ行為としてイメージするのは妥当ではないのではないかという思いもある。