燃える炭火を積む

 Rom12:20の「燃える炭火を積む」という表現の解釈をめぐっては、相手の羞恥心を喚起するという解釈が最も一般的で、他には精錬のやり方を連想して相手の悪い部分を取り除くという解釈もなされているようだが、私としては、これらのような、文脈からも他の記述からも解釈できないような、ヒューマニズムに堕しているのではないかと疑わせるような解釈には同意できない。
 どうも、復讐という概念を上手く捉えることができていない場合が多いような気がする。復讐を願う詩篇を読んで信仰者がつまずくのはよくあることだが、その場合、読み方が全く間違っていると言わざるを得ない。恐らくは人間の人間的な感情による復讐と、神の復讐とがまったく異なるものであることを理解していないためにそのような混乱が起こるのだろう。

【新改訳改訂第3版】

140:9 私を取り囲んでいる者の頭。これを彼のくちびるの害毒がおおいますように。
140:10 燃えている炭火が彼らの上にふりかかりますように。彼らが火の中に、また、深い淵に落とされ、彼らが立ち上がれないようにしてください。