冷徹と人情の間、みたいな

 最近鑑賞したいくつかの作品がどれも似たような軸を持っているような気がしたのでメモしておく。
 作品のタイトルはアニメ『DARKER THAN BLCK』、まんが『LIAR GAME』、あー、あと他になんかあったんだけど忘れてしまったっ。なんてこったい!
 まあいい。タイトルにあるように、作品間に共通するのは冷徹で合理的な判断と人間的で優しい感情の対立が強調されている点である。
 あー、思い出した、もう一個の作品はアニメ『ヒロイック・エイジ』。
DTB』では、〈契約者〉と呼ばれる「人間らしい感情」を持たない*1、常に「合理的判断」で行動する超能力者が出てくる。主人公のヘイは〈契約者〉でありながら〈契約者〉でないというような微妙なポジションで、それこそが可能性だ、みたいな話になる。『LIAR GAME』は〈LIAR GAME〉という大金の動くゲームに参加することになった人々が騙しあい、陥れ合う話で、ところが主人公の神崎直はそんなゲームには場違いのバカ正直人間という設定で、しかも彼女の初期状態がそのまま肯定されるわけでもなく、疑いの重要性が指摘される場面があり、〈契約者〉でもただの人間でもなく、という『DTB』の方向性と構造的に似ているようにみえる。また、『ヒロイック・エイジ』では〈鉄の種族〉と呼ばれる人類に対して、「感情を持たない」*2〈銀の種族〉というエイリアンの種族が出てくる。〈鉄の種族〉の持つ感情は秩序を乱す忌まわしきものであると〈銀の種族〉は考えていて、実際「愚かな感情」のせいで〈鉄の種族〉こと人類(の無能な司令官たち)は味方を無駄死にさせて惑星まで破壊するという(笑)鬼畜ぶりを発揮する。作品中ではその司令官たちだけがひどいのだけど、「あーこれって愚かな人間の姿だよなあやっぱり」と私は思ってしまった。
 でね、この3作品はいずれも〈契約〉という概念が出てくるんだよ。なんかそこらへん鍵があるんじゃないかという気がするんだけど、ちょっと〈契約〉そのものについて考えてみないとよくわからない。

*1:ということになっているけど作品を通してみるとそうでもない。程度問題か?

*2:実際には持っているが、持った感情は仲間の一人にすべて受け渡すということをやる