ギリシャ語日誌6

簡単な復習をしつつ、名詞格変化と戦い続ける。これは数をこなすしかないかな。

ギリシャ語日誌5

名詞の格変化など。これは骨が折れそうだ。

疑似科学がふたたびのようで

id:pollyannaさんという方がハイクで書いてたことについて。 優越感だけを批判してたらそれは意味がないと思いますが。そういう疑似科学批判批判な人もいるんでしょうか、きっといるんでしょう。 で、例のハイクだけではまたもや論点がかすんでしまうと思っ…

ギリシャ語日誌4

ようやく第2講に進んだ。時称、相、法など。

ギリシャ語日誌3

第1講をやったと思っていたらその1節までだった。今日は復習と2節まで。道のりは長い。

「人はなぜ戦争をするのか」

というタイトルでフロイトが書いてるものがありましたよね。私はまだ読んでないんですが、最近思いついたのは、人が戦争をするというのは不完全な戦争をするからじゃないかなと。つまり、あらゆる戦争は完全な戦争が成し遂げられることを目指しているのであ…

ギリシャ語日誌2

時間がないので1講の復習を少し。 シグマの2種の小文字のうちσじゃない方s(に似てる)は語末に限る。 ギリシャ語の母音は七つ。α、ε、η、ι、ο、υ、ω。εとοは常に短母音。ηとωは常に長母音。α、ι、υは両方発音。 11個の二重母音がある。αι(ai)、αυ(au…

ギリシャ語日誌1

大貫隆『新約聖書ギリシア語入門』(岩波書店)を唐突にやり始めた。今日は第1講まで。 できれば1日1講くらいのペースで完成させたいが、1月ではちょっと無理かもしれない。

妊娠中絶

聖書的に考えると、中絶というのは原則的には悪だと判断できると思う。原則的に、というのは例外はあるのではないかということを含意している。聖書には中絶に関する直接的な教えはないし、実例も記されていない。また、子どもが生まれる、ということがどう…

メモ―主体構築

人間は常に自分自身のイメージを他の人の中に置いているので、想像的同一化は文字通りの鏡に依拠するわけではない(略)。しかし、この事実が示す結果はしばしば忘れられてしまっている。つまり、人間は常に自分自身のイメージの中に他者を持っているという…

エッセネ派…

最近の研究でエッセネ派の存在が実はフィクションだったのではないかという話があるらしい。まあ、私にとってエッセネ派なんていてもいなくてもたいした問題はないのだが。 近現代史のように歴史学が重要な学問としてある程度確立してからの時代についてはそ…

偽りの能動性?

ジジェクは〈予定説〉の信仰のあり方を単なる「偽りの能動性」としてしか捉えていないようだ。架空の大文字の他者を維持するための実践。しかしこの理解はどこか誤解を含んでいるように見える。つまり、信仰のみによって救われるということが理解されていな…

個人の儀礼と共同体の儀礼

卒業式の日に茶髪とスカート丈を理由に教師が生徒を別室で説教していたら生徒が教師にはさみを押し当てたという話だが、これはなかなか面白い問題である。というのは、卒業式の位置づけについての対立がそこに垣間見えるからである。そもそも儀礼というのは…

可視化された内なる他者

私という存在が現にあるこの私であるということには、なんの必然性もないように見える。私の人生は今とは別のああでもこうでもあるような人生だったかもしれないが、しかしそのどれでもないこのような人生を送り、今のような私になった。しかし、私が私を私…

ひぐらしのなく頃にについて

「ひぐらしのなく頃に」のアニメ版を視聴したのでメモを。この作品においては、人間の脳に寄生する寄生虫が原因となり、特定の地域に住む人間がとつぜん凶暴化するという設定がなされている。しかし、その設定は物語終盤まで明かされない。そこで、作品中で…

電脳コイル――補足

さて、前回は「イサコは孤独な存在」と単純化してしまったが、二人の少女が互いに背反的な鏡像であり、共通の精神的基点を持っているからこそ二人の少女を対にして描くことができるのであり、それゆえイサコもまた、成熟を要請される存在であることを見逃し…

電脳コイル――最終話視聴前の小括

電脳コイルもまた、二人の(意図的に)対照的な属性の少女たちの物語だ。 物語は反復されている。反復は失敗した自己を望ましい形に書き換えるために行われる。ヤサコはかつて友達を見捨てた過去の自分を書き換えるため、イサコを助けに向かったのである(構…

肉体的生存

生き物として生きていることについて私が考えるのが難しいのは、それが最上の価値とは思えないがしかし原則的に肯定されるべきものであり、それでも極端に優先されることでもないという微妙さによるのではないかと思う。社会はみんなにごはんと医者がいきわ…

お酌と贈与

お酌という文化は、マルセル・モースが『贈与論』で論じた贈与の体系でかなり説明できるような気がする。最近お酌には「ご返杯」というものがあり、それを受けないことは「失礼」だとみなされるということを知った。なんで与えないならともかく、受けないこ…

お前はもう、知っている

ローマ人への手紙1章によると、神の存在は自明だということになる。自明だから、それは誰もが知っているということになる。これは絶対、「そんなばかな」という反発にあう。 ここで、知っていながら否定する、というケースがあるかどうかを考えてみる。ジジ…

ちくまからモースの贈与論が文庫で出るらしい。この機会に買うかな。 なんか単行本が復刻だったかと思うんだけど出てて、高いなー、と悩んでいたところだったので。

プロフィール欄

きのこ屋と書いていますが、きのこの研究者と誤解される恐れがあるので一応はっきりさせておきます。きのこを売る方のきのこ屋です。よろしく!

私信

コメントが書き込めなかったのでIDコールというわけです。 こんにちは、id:Brittyさん。最近よく読ませてもらっておる者です。 ところで、先日のエントリにありました、三位一体の説明に物質の三態を使うのが様態的モナルキア主義であるということについて、…

創世記における創世の原理

創世記1章について簡単に書いておく。 創世記には、「はじめに神が天と地を創造した」とあるが、これは要するに世界の分割である。つまり、天/地という二項対立的な原理の出現である。そして神の6日間の創造は、すべてこの二項対立を生じさせることで成り…

殺人、レイプ

なぜ人を殺してはいけないのか、なぜレイプは悪いことなのか、という話がありますよね。レイプのほうは、そんな問いがなされる社会は野蛮だ、とかいう話を読んだこともあります。 最近ぼんやりと思ったのですが、殺人とかレイプって、その言葉自体に「悪いこ…

霊とたましいとからだの区別についてのメモ

聖書は、人間が霊とたましいとからだを持つことを示している。しかしこれら3つの区別や互いの関係がどうなっているのかを読み取るのは大いに困難な作業である。感覚的には、霊とたましいは区別がつきにくいが、からだは他の二つとの違いが明確であるように…

イメージの制約について

斎藤環さんの『生き延びるためのラカン』を読んでいて面白かったことの一つに、空想の生き物が皆、既存の動物のパーツの組み合わせであって、完全オリジナルなイメージでは造形されないというのがあった。 それで私が思い出したのがフライングスパゲティモン…

カマキリの卵ノウの高さと最大積雪深の相関について

先日紹介した『カマキリは大雪を知っていた』の酒井さんの研究だが、これを疑似科学ではないかと批判する声があるようだ。なかなか面白い教材だと思うので考えてみたい。 批判の内容を分類すると次のようなものがある。1.大地の振動とかありえねー→トンデモ…

雑記

伊勢田哲治さんが読書予定リストに浮上。科哲的な話なら池内さんみたいな素人の話よりはまともなことを言ってそうだ。『科学哲学の冒険』の内容について議論があるらしいけど、『RATIO』を今からそろえるのはちょっと……。 立岩真也さんがにわかに読書予定リ…

池内了『疑似科学入門』(岩波新書)読み始めた

id:chazukeさんに読むと言ってしまった手前、読まないわけにはいかない。まだ1章の途中なのにかなりメモが多くなってしまった。 「心のゆらぎ」とは? 池内さんによると、非合理に惹かれるすべての根源は「心のゆらぎ」にあるのだという。そしてそれを後押し…